せーのっ
ラッコ 最高ー!!!!!!
新たな人との出会いに関心が無かった
「地元に好きな人達が全然来ないから、とにかくこの場所に基準を作らなければならない」それだけが行動基準だった
音楽イベントを連続で組みはじめてからすぐ、1回目にも登場する野本さんの企画でテニスコーツが来てくれた。以前から名前は認識しており、演奏は見たことがなかったが、何故か強く惹かれていた。直前に公開された山本精一さんと植野さんが2人きりで話す動画を観てライブに行く事を決めた
この日の2人の共演者はACID MOTHERS TEMPLEの河端一さん。会場に入るとさやさんがノートを見ながら何かを考えている。今となっては見慣れた光景だが(ふたりがリハ後に「練習、練習」といいながらどこかに行くのが好き)出演者が会場の中で何か考えてる姿を見せる人をこの日まで見ることがなかったからよく覚えている。
「なんかいいな」と思いながらしばらく見ていると、さやさんと目が合いちょっと警戒されてしまった気がする。植野さんはどこかを流していたのかな。
海外ライブツアー後、飛行機の中で体調が悪化し、瀕死の状態で会場に到着した河端さんとテニスコーツの共演は壮絶だった。言葉にするのは難しい、音楽を超越した命を削る時間のように見えた
ライブ後、「さやさんには警戒されてるはずだ!」と思い込んだ自分は植野さんに話しかけてみた。一言二言話した時点で「この人達は音楽だけじゃない」と確信した。こうなると自分はもう止まらない。打ち上げ会場から帰路まで鬼の怒涛の連続質問ラッシュを打ち続けた。絶対めんどくさかったはずなのに植野隆司さんは答え続けてくれた
心の底から申し訳ないと思いながらも止まらなかった。徐々に自分を認識したのか、さやさんは笑ったり、話を真剣に聞いてくれたりした。でもやっぱり、だいぶ警戒されてたと思う
この日以降、何度もテニスコーツのライブを観に行った。関西でライブされる時はほとんど行ったかな。毎回違う。毎回印象が大きく違う。うたものという括りではない、色んな人と演奏し、その人達とこの日出来る精一杯?の事をする。全然かっこつけたりしないで、ただ音を奏でて楽しんでいるように見える
ふたりを見続けているうちに、上記した「あのバンドや、あのアーティストに来てもらう事を当たり前にする!」という身勝手な考え方が
「来てもらう人達の今後に生きるかもしれない事をしたい。それをお客さんに喜んでもらえたら最高」に変わっていった
その後、ふたりに何度も来てもらった。最高の結果が出ることもあれば、自分の力不足で何度か集客がうまくいかなかった。「好きな人達や、ふたりにこんなさみしい思いをさせるなら、やめたほうがいい」と何度も思った。それでもやめずにいるのは、ふたりが毎回良い時間を見せてくれて、来てくれたお客さんが楽しんでいない日が無かったから
せーのっ
テニスコーツ 最高ー!!!!!!
コロナ禍でしばらく会えなかった人達や、演者さんに会うことが出来るようになってきたこのタイミングで書きたくなった
また会えなくなるかもしれない
もうもとにもどれないことが増えていくのかもしれないけど、大切にしたい人や場所を忘れたくない
読んで頂いた皆様にもテニスのお二人にも窮屈な文章だったかもしれないけれど、自分のブログではなく「みんなかける」にならと思いました。読んでいただいた皆様ありがとうございました